ビーチリゾート鵠沼は、避暑地かつ避寒地である。
すなわち、夏涼しく冬暖かい。東京への通勤、通学の経験がある方は、よくお判りのことだろう。
これは、どういう理由からだろうか。
海洋性気候
鵠沼は、海に面した土地である。言い換えれば、陸地と海の接点にある。
ということは、陸上の空気と海上の空気が接することになる。陸地は固体でできている。鵠沼は湘南砂丘地帯の海砂である。これに対し、海は液体でできている。固体と液体には比熱の差がある。すなわち、固体は暖まりやすく冷めやすい。液体は温まりにくく冷めにくい。その上を覆う大気は、輻射熱で下から暖められる。
夏あるいは昼間は陸上の空気が海上の空気より相対的に早く暖まり、大気は膨張して気圧が低くなり、軽くなるため、上昇気流が生じる。この気圧差を補うため、海から陸に向かって相対的に涼しい風が吹き込む。
冬あるいは夜間にはそれと逆の現象が起こる。そして、気圧のバランスがとれる夕方と朝方には風が止まる。夕凪と朝凪である。
鵠沼で、常時気象を観測しているのは、多分県立湘南高校気象部の諸君だろう。伝統ある同校気象部は、気象庁や内外の各大学に優秀な人材を送り出してきた。しかし、残念ながらその観測データを入手することができなかった。そこで、気象庁のアメダスが辻堂西海岸に置かれているので、そのデータを利用することにした。アメダス(AMeDAS)とは「Automated Meteorological Data Acquisition System」の略で、「地域気象観測システム」という。
辻堂西海岸と鵠沼では、データにさほどの差はないはずである。
ただし、湘南海岸沿いの唯一のアメダス観測地点である辻堂で観測が開始されたのは1992年2月10日(それまでは江の島にあった)だから、2000年に区切った時点ではまだ9年分のデータしかなかった。.通常気象の平均値は30年分の平均を出すので、下のグラフで比較してある東京(千代田区の気象庁ポイント)のデータは1971年から2000年の30年間平均で、厳密には正確な比較とはいえないことをご承知願いたい。
都心と辻堂の気温変化を比較すると、ほぼ同じ値になるのが3月と9月である。すなわち、春から夏にかけては都心より湘南海岸の方が涼しく、秋から冬にかけては都心より湘南海岸の方が暖かいということになる。
最低気温はどの季節でもほとんど差はないが、最高気温はかなり差がある。通常最低気温は夜明け前、最高気温は午後2時頃に出現する。都心と湘南海岸との気温差が目立つのは夏の日中ということになる。
降水は太平洋岸はどこでもそうだが、梅雨明けの豪雨季と秋霖、台風が重なる9月に多く、その間の8月は好天が続き、日照時間が最も長い。冬には滅多に降水がない。また、このデータにはないが、積雪をほとんど見ない。
湘南海岸は、避暑・避寒に向いた気候条件を備えているといえる。
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AMeDAS辻堂における9年間(1992~2000年)の平均値 |
要素 |
降水量
(mm) |
平均気温
(℃) |
最高気温
(℃) |
最低気温
(℃) |
平均風速
(m/s) |
日照時間
(時間) |
1月 |
61.3 |
6.1 |
10.5 |
1.8 |
3.3 |
175.5 |
2月 |
48.6 |
6.4 |
10.9 |
1.7 |
3.2 |
180.9 |
3月 |
136.4 |
9.2 |
13.0 |
5.2 |
3.6 |
158.7 |
4月 |
133.0 |
14.2 |
17.8 |
10.1 |
3.7 |
164.3 |
5月 |
150.9 |
18.3 |
21.5 |
14.9 |
3.6 |
168.8 |
6月 |
178.4 |
21.1 |
23.8 |
18.6 |
3.4 |
114.8 |
7月 |
198.9 |
24.7 |
27.4 |
22.5 |
3.4 |
172.8 |
8月 |
96.7 |
26.6 |
29.5 |
24.2 |
3.5 |
206.4 |
9月 |
182.7 |
23.5 |
26.9 |
20.6 |
3.4 |
134.1 |
10月 |
119.8 |
18.5 |
22.1 |
15.1 |
3.1 |
140.1 |
11月 |
106.2 |
13.3 |
17.4 |
9.4 |
3.2 |
145.4 |
12月 |
35.0 |
8.5 |
13.0 |
4.2 |
3.1 |
166.2 |
年 |
1447.9 |
15.9 |
19.5 |
12.4 |
3.4 |
1929.4 |

風よけの麦藁と凧揚げ
関東地方では、一般に「空っ風」とか「木枯らし」と呼ばれる冬の季節風が卓越風で、武蔵野の屋敷林は北西側に厚くつくられている。ところが、湘南海岸では海からの風がそれを相殺し、さほどの影響を与えない。
それよりもむしろ、海からの南風が卓越風であり、海岸ほどその傾向が強くなる。湘南海岸公園の砂防林のクロマツを見ると幹が海から陸の方向へ傾いでいる。
海からの風は地面の砂を吹き飛ばし、農作物を埋める。ことに冬季に芽の成長するムギ類のためには風よけが必要になる。鵠沼では「麦から」と呼ぶ麦藁を挿して砂防をする風景は、冬の風物詩であった。これはかなりの重労働で、農家を悩ませた。一部では今でも見られるが、サランネットを張る農家もある。
風速は年間通じて顕著な差はないが、4月を中心に強くなる。夏型の天候に変わる頃である。.
鵠沼では、端午の節句に凧揚げをする風習があった。それも、3畳敷きから8畳敷きといった大凧である。鯨の髭でつくった「うなり」が響き、勇壮なものであった。現在では凧揚げのできる空間も少くなったが、保存会も組織され、県立辻堂海浜公園を中心に行われている。 |
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風よけの麦藁を抜く 堀川で 撮影:山上敏夫 |
八畳敷きの大凧 撮影:福地誠一 |
霜柱
私が幼い頃発したといわれる言葉に「ニシュングライ」というのがある(そうだ)。
2歳で世田谷の太子堂から鵠沼に転地して間もなく、母が腸チフスに罹患して入院した。その間、世田谷の池尻にあった母の実家に預けられた。ある冬の朝、祖母と庭に出た。その時、なぜか私はリュウノヒゲの青い実が気に入り、これは何だろうと関心を寄せた。おそらく祖母に尋ねたに違いない。ところがその時祖母の関心は、大きく成長した霜柱にあって、「まァ、二寸ぐらいある」と言った。それで私はリュウノヒゲの実のことを「ニシュングライ」だと思ってしまったらしいのだ。大人たちはそれを面白がって、後々まで笑いものにされた。
小学校4年の時、父が急死して、母が勤めに出るため、戦災で世田谷の瀬田に移っていた母の実家に住むことになった。そのころの瀬田は、国木田独歩の『武蔵野』に出てくるような田園地帯だった。
やがて冬になり、私を驚かせたのは霜柱であった。鵠沼では霜が降りることはあっても、砂地のために霜柱が立つことがない。今では園芸用に庭に土を入れることが多いから、霜柱も立つだろうが、地球温暖化のせいか、霜柱が立つほど冷え込むことは滅多になくなってしまった。
高校3年の自由登校が始まった3学期、既に推薦で進学先が決まっていた私は、丹沢のヤビツ峠の山小屋に居候をして暮らした。冬で登山客も少なく、水汲みと薪割り以外に特にすることもなかった。その時に驚いたのは、霜柱というのは15cm以上にも成長するのだということである。「ゴシュングライ」ということになろうか。 |
鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭
[参考サイト]
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